塚我塾
議論先導者:塚 夏紀(立命館大学理工学部数理科学科1回生)
塚 夏紀(つか なつき)。立命館大学理工学部数理科学科1回生。好きなことは、考えること、知ること、話すこと、歌うこと、寝ること、食べること、数学をすること。昔から空気が読めないところがあり、「暗黙知」「常識」が苦手で、「言葉」に興味を持つ。
「数学が好きである」とは、「数学の美しさが分かる」ということなのか
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私は数学が好きで、美しいと思っています。私が友人に数学の楽しさを説こうとするとき、数学の美しさを説明していることに気づきました。私は「数学の美しさがわかれば数学が好きになる」と考えているようです。では、「数学が好きである」とは、「数学の美しさが分かる」ということなのでしょうか。まずは数学の美しさには2つあるという以下の仮説に納得するか皆さんにお聞きしたいです。
★「数学の美しさ」を以下で定義する。
a.数学の証明に宿る美しさ
数学の美しい証明とは、「性質や特徴を抜き出し抽象化して、原因から結果に辿る」証明である。数学の美しくない証明とは、「やってみた結果、正しかったから正しいとされる」証明である。
b.数学の抽象性
例えば「2つのリンゴ」を全員で思い浮かべた時、「2つ」は数学的で抽象的なので誰が想像しているものも同じだが、「リンゴ」は具体的なのでそれぞれの思い浮かべるリンゴは異なる。
c.簡潔性
数学の証明ではできるだけシンプルなものが求められる。また、数学は「A」と「A以外」という定義の仕方をするので、排中律で、明確に「わける」ことができる。だから「わかる」。
ここでの議論で数学の美しさについて定めた後、「好きである」ことと「美しさがわかる」ことの関係性について考えていきたいです。その過程で「楽しい」「面白い」などの感情との関係性や、算数・数学は抽象的になるほど難しくなり面白くないと感じる生徒が増えていく中で私は抽象性に美しさを見出していることなどに触れられるといいなと思います。また、皆さんが研究している学問分野について、「好き」と思うか、「美しさ」を見出しているか、お話を聞けることも楽しみにしています。