澁川我塾
議論先導者:澁川幸加(京都大学大学院教育学研究科高等教育学コース博士課程2年)
澁川幸加(しぶかわ・さちか)
京都大学大学院教育学研究科高等教育学コース・博士課程2年生。日本学術振興会 特別研究員(DC2)。筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒業,京都大学大学院教育学研究科修了。修士(教育)。専門:教育工学・大学教育。研究テーマ:反転授業の授業設計。主な受賞歴:2017年 筑波大学情報学群情報メディア創成学類『学類長賞』。2018年 International Symposium on Educational Technology “Best Paper Award” 受賞。
「わかる」とはなにか
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私達が日常的におこなう「理解」には,段階があるといわれています。一般的に,文法や語彙を駆使して文章の言っている意味がわかるレベル,名前や機能は思い出せるけれどもなぜそうなるのかは説明できなかったり,学んだ知識を似たような問題でのみ適用できる浅い理解のレベル,知識の関係性を説明できたり全く違う文脈でも学んだことを活用できるほど深く理解しているレベル,はたまた勘違いをしたり「わかったつもり」のような,よくわかっていないときもあります。なぜ理解の深さに違いが現れるのでしょうか?そもそも,私達は何を意味あるものとして認識しているのでしょうか?
今回は,以下の視点で,私達は何を「わかろう」とする対象として認識して,なぜ私たちは「わかったり」「わからなかったり」するのかについて考えたいと思います。
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入力した情報から「意味」のあるものをいかに取り出しているのか?
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「意味のあるもの」を判断する能力やセンスは育てることができるのか?他者から与えることができるのか?大人でも育てることができるのか?
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どのようなときに「わかった」と思うのか?
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「わかった」と腑に落ちた感覚はなぜ起きるのか?それは深い理解なのか?
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あとでよく考えると不十分な考えであったとしても,なぜ考えたり学んでいる瞬間に「わかった」と思うのか?