​澁川我塾
議論先導者:澁川 幸加(京都大学大学院 教育学研究科高等教育学コース・博士課程3年

澁川幸加(しぶかわ・さちか)

京都大学大学院教育学研究科高等教育学コース・博士課程3年生。日本学術振興会 特別研究員(DC2)。筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒業,京都大学大学院教育学研究科修了。修士(教育)。専門:教育工学・大学教育。主な受賞歴:2017年 筑波大学情報学群情報メディア創成学類『学類長賞』。2018年 International Symposium on Educational Technology “Best Paper Award” 受賞。2020年 教育メディア学会論文賞受賞。大学教育におけるハイブリッド型授業の授業設計や遠隔教育に興味を持つ。

友達とはなにか?澁川我塾第5回(2021/08/22)

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人間関係の中に、「友達」と呼ばれるものがあります。友達は、年齢はもちろん、人に限定されず、ペットやぬいぐるみがその役割を果たすこともあります。普段は友達には話せないことを初見の美容師やタクシー運転手には話せるという人もいるかもしれません。一方で、「友達」というのはなんだかはばかられて、「知人」や「同僚」と呼ぶ関係性を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。「大人になると「友達」と呼べる人がいなくなる」という、寂しい言葉を聞いたこともあります。
また、コロナ禍で多くの生徒・学生は遠隔授業を余儀なくされました。特に大学生においては「友達ができない」ことが社会問題にもなりました。大学授業のやり方にもよりますが、毎週ともに学ぶ共同体は、少なくともそこには存在したはずです。しかし、画面越しに存在していると思われる同輩を、「友達」とよべるには至らなかったとも解釈できます。
どうやら、友達とは必ずしも頻繁に会う人や、相手が対話できることに限定されないのかもしれません。それでは、どのような関係性を「友達」とみなすのでしょう。我塾では、皆さんの経験をもとに、以下の論点を考えていきます。

  • 「友達」と「知人」を分ける境界はなにか?

  • 「友達」とみなす条件はなにか?

  • ペットやぬいぐるみは「友達」とみなせるのか?

  • 一方的に「友達」と認識することは、友達なのか?

  • 授業づくりや技術によって「友達づくり」を支援することは可能か?

 

オンラインにおける信頼とは何か?澁川我塾第4回(2020/07/12)

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新型コロナウイルス拡大防止に伴い,オンラインでコミュニケーションを取る機会が急増しました。オンラインでうまくコミュニケーションを取るための要因の一つに,信頼が挙げられると思います。オンラインで他者と信頼を構築するプロセスや信頼を構築するための条件・前提を検討することは,今後,オンラインと対面の共生を議論する上で重要です。そこで,今回は次のことについて議論したいと思います。

  • 私達はオンラインで何を手がかりに相手を信頼するのか?

  • オンラインで信頼するために適した情報量が存在するのか?監視されていると感じるか否かの違いには相手との信頼関係の質が関係しているように思われる。それでは,その質とは何なのか?

  • “オンライン仕草”が発達すると他者との信頼の構築は容易になるのか?

  • オンラインだと監視されているように感じてしまう原因は何なのか?

「わかる」とはなにか 澁川我塾第3回(2019/12/15)
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 私達が日常的におこなう「理解」には,段階があるといわれています。一般的に,文法や語彙を駆使して文章の言っている意味がわかるレベル,名前や機能は思い出せるけれどもなぜそうなるのかは説明できなかったり,学んだ知識を似たような問題でのみ適用できる浅い理解のレベル,知識の関係性を説明できたり全く違う文脈でも学んだことを活用できるほど深く理解しているレベル,はたまた勘違いをしたり「わかったつもり」のような,よくわかっていないときもあります。なぜ理解の深さに違いが現れるのでしょうか?そもそも,私達は何を意味あるものとして認識しているのでしょうか?

 今回は,以下の視点で,私達は何を「わかろう」とする対象として認識して,なぜ私たちは「わかったり」「わからなかったり」するのかについて考えたいと思います。

  • 入力した情報から「意味」のあるものをいかに取り出しているのか?

  • 「意味のあるもの」を判断する能力やセンスは育てることができるのか?他者から与えることができるのか?大人でも育てることができるのか?

  • どのようなときに「わかった」と思うのか?

  • 「わかった」と腑に落ちた感覚はなぜ起きるのか?それは深い理解なのか?

  • あとでよく考えると不十分な考えであったとしても,なぜ考えたり学んでいる瞬間に「わかった」と思うのか?

「わかる」とはなにか 澁川我塾第2回(2019/11/9)

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前回は、日常で感じる「わかる」「わからない」「わかったつもり」を整理した後に、わかることとはどのような状態かについて議論をしました。今回は引き続き「わかる」について、以下の論点で議論をしたいと思います。
 

  •  どのようなときに「わかった」と思うのか?どれほどの種類の「わかる」に分類できるか?

  • 「わかる」の発生メカニズムはどのようなものか?

  • 表層的な理解にとどまる場合と深く理解する場合で、そのプロセスにどのような違いがあるか?

  • 人は1人で自分の理解を把握することができるのだろうか?他者からの評価を受けたり、たとえ1人のときもテストなどの道具を用いたりすることなく、自分の理解を確かめることはできるのか?

  • 「理解」は本当に存在するのか?類推・共感など他の認知活動や精神活動で構成されているだけか?

 

 

「わかる」とはなにか 澁川我塾第1回(2019/10/19)

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私達が日常的におこなう「理解」には,段階があるといわれています。一般的に,文法や語彙を駆使して文章の言っている意味がわかるレベル,名前や機能は思い出せるけれどもなぜそうなるのかは説明できなかったり,学んだ知識を似たような問題でのみ適用できる浅い理解のレベル,知識の関係性を説明できたり全く違う文脈でも学んだことを活用できるほど深く理解しているレベル,はたまた勘違いをしたり「わかったつもり」のような,よくわかっていないときもあります。なぜ理解の深さに違いが現れるのでしょうか?そもそも,私達は何を意味あるものとして認識しているのでしょうか?

 今回は,以下の視点で,私達は何を「わかろう」とする対象として認識して,なぜ私たちは「わかったり」「わからなかったり」するのかについて考えたいと思います。

  • 入力した情報から「意味」のあるものをいかに取り出しているのか?

  • 「意味のあるもの」を判断する能力やセンスは育てることができるのか?他者から与えることができるのか?大人でも育てることができるのか?

  • どのようなときに「わかった」と思うのか?

  • 「わかった」と腑に落ちた感覚はなぜ起きるのか?それは深い理解なのか?

  • あとでよく考えると不十分な考えであったとしても,なぜ考えたり学んでいる瞬間に「わかった」と思うのか?